浄土真宗 親鸞会 三河・知多
      トップ人生の目的仏教講座法話のご案内お問い合わせリンク集

お釈迦さま
 「天上天下 唯我独尊」の御心

 

「四門出遊」と父・浄飯王
 やがては老い、病み、死んでいく

 釈尊は、カピラ城の城主・浄飯王を父とし、マーヤー夫人を母として生まれ、成仏前は、シッタルタ太子と呼ばれていました。一国の太子でありましたから、将来の地位は確立していました。

 19歳の時には国内第一の麗人といわれたヤショダラ姫と結婚し、翌年、男子ラーゴーラをもうけておられます。

 釈尊は、生まれながらにして、最高の地位、名誉、財産が与えられ、思うままの生活が約束されていた人でした。

 しかし、青年期の太子は、
「私の幸福も、老いや病、死の災難に襲われたら、ひとたまりもない。どこかに本当の幸福はないのだろうか」
と、沈思黙考されることが多かったといわれます。

 

 ある時、東の城門を出られた太子は、歯が落ち、腰は曲がり、杖にたよって道を歩く哀れな老人の姿を見て、
「人間だれしもやがてあの姿になり、老苦にあわねばならないのか」
と苦悶されました。

 お年寄りが、まごまごしているのを見て、情けないと感じても、
「年寄り笑うな行く道じゃ」
といわれますように、自分の行く末なのです。

 どんな美人も、容色の衰えを止めることができませんから、小野小町は、
「面影の 変わらで年の
   つもれかし
 たとえ命に 限りあるとも」
と、切ない女心を詠んでいます。絶世の美女ゆえに、わずか一本のしわや白髪が、深刻な問題だったことは、想像にかたくありません。

 次に太子は、南門を出て路傍で苦しむ病人をごらんになり、病苦からも逃れ難い人間の姿を凝視されました。

 だれでも、自分の病気がいちばんつらいと感じます。甲乙つけ難いので、病は、「やまいだれに丙」と書きます。たとえ今は健康でも、肉体は病の器で、いつ、どんな病気になって苦しまねばならないか、分かったものではありません。

 さらに太子は、西門から出遊したおり、葬式の行列に会い、避けられない厳粛な事実である死を知られ、愕然とされました。
「後の世と 聞けば遠きに
  似たれども
 知らずや今日も
     その日なるらん」
 人生における最大問題は、100パーセント確実な死であります。

 ところが、皆、後生を20年も30年も先のように考えています。死は今日にも襲ってくるかもしれません。今、吸った息が吐き出せなかったら、吐いた息が吸えなかったら、後生なのに……です。


 


 昔、ある金持ちの男が三人の妻を持って楽しんでいた。

 第一夫人を最もかわいがって、「寒い」と言ってはいたわり、「暑い」と言っては心配し、ぜいたくの限りを尽くさせ、一度も機嫌を損なうことはなかった。

 第二夫人は、それほどでもなかったが、種々苦労して他人と争ってまで手に入れたので、いつも自分の側において楽しんでいた。

 第三夫人は、何か寂しい時や、悲しい時や、困った時だけ会う程度であった。

 ところがやがて、その男が不治の病に伏した。刻々と迫りくる死の影に恐れおののいた彼は、第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、ぜひ死出の旅路の同道を頼んだ。
 ところが、
「ほかのこととは違って、死の道連れだけは、お受けすることはできません」
と、すげない返事に、男は絶望のふちに突き落とされた。

 しかし、寂しさに耐えられぬ男は、恥を忍んで第二夫人に頼んでみた。
「あなたがあれほど、かわいがっていた第一夫人でさえ、イヤとおっしゃったじゃありませんか。私もまっぴらごめんでございます。私を求められたのは、あなたの勝手です。私から頼んだのではありません」
 案の定、冷たい返事だった。

 男は、恐る恐る第三夫人にすがってみた。
「日ごろのご恩は、決して忘れてはいませんから、村外れまで同道させていただきましょう。しかし、その後はどうか、堪忍してください」
と突き放されてしまった。

 

 これは、『雑阿含経』に説かれている「三人の妻」という有名な話です。男とは私たち人間、第一夫人は肉体、第二夫人は金や財産、第三夫人は父母・妻子・兄弟などを例えられたものです。

 蓮如上人は、『御文章』に、
「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」
と、私たちは、妻や子供、財産やお金を頼りに生きていますが、今死ぬとなっても心の明かりとなるものは、何一つとしてありません。どれほどこれらに恵まれたシッタルタ太子といえども、例外ではないのです。

 最後に、太子が北門を出られた時、法服修行の出家を見て、人生の理想は五欲の生活以外にあると発見なされたといわれています。

>次 老・病・死の現実