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仏法入門講座 〜三人の妻〜

「まことに死せんときは、予てたのみおきつる妻子も財宝も、わが身には一つも相添うことあるべからず。されば死出の山路のすえ・三塗の大河をば、唯一人こそ行きなんずれ」

「死んでいく時はみんな丸裸である」と教えられた蓮如上人のご金言です。

 この世のどんな幸せも、無常の風の垣根にはなりません。
 釈尊は次のような例え話で教えておられます。

 ◇ ◇

 昔、ある金持ちの男が三人の妻を持って楽しんでいた。
 第一夫人を最もかわいがって、寒いと言ってはいたわり、暑いと言っては心配し、ゼイタクの限りを尽くさせ、一度も機嫌を損なうことはなかった。
 第二夫人は、それほどではなかったが種々苦労して、他人と争ってまで手に入れたので、いつも自分のそばに置いて楽しんでいた。
 第三夫人は、何か寂しい時や、悲しい時や、困った時だけ会って楽しむ程度であった。

 ところがやがて、その男が不治の病床に伏すようになった。刻々と迫りくる死の影に恐れおののいた彼は、第一夫人を呼んで心中の寂しさを訴え、ぜひ死出の旅路の同道を頼んだ。
 ところが、
「ほかのこととは違って、死の道連れだけは、お受けすることはできません」
と、すげない返事に、男は絶望の淵に突き落とされた。

 しかし、寂しさに耐えられぬ男は、恥を忍んで第二夫人に頼んでみようと思った。
「あなたがあれほど、かわいがっていた第一夫人さんでさえ、イヤとおっしゃったじゃありませんか。私もまっぴらごめんでございます。あなたが私を求められたのは、あなたの勝手です。私から頼んだのではありません」
 案の定、第二夫人の返事も冷たいものであった。

 男は、おそるおそる第三夫人にすがってみた。
「日ごろのご恩は、決して忘れてはいませんから、村外れまで同道させていただきましょう。しかし、その後はどうか、堪忍してください」
と突き放されてしまった。

『雑阿含経』に説かれている有名な話ですが、男とは、我々人間のことです。
 第一夫人は肉体、第二夫人は金銀財宝、第三夫人は父母妻子兄弟朋友などを例えられたものなのです。

 財産も、建物も、名誉も地位の箔も、死の前には執着を増すばかり。妻子は輪廻の仲立ちにしかなりません。
 浮かれ踊って、騒いでいる間に、生死海に沈淪する。何ものが永遠に魂を満足させてくれるでしょうか。

 ところが、私たちは、死を他人のことだと思い込んでいます。妄想顛倒も甚だしい。しかし、これが偽らぬ実相ではありませんか。

 日々の新聞紙上に死亡記事の載らない日は一日もありませんが、読んで、自分の死に驚く人は、暁天の星でしょう。皆、他人の死としか読めないのです。

 かりに人間が、健康、愛欲、地位、名誉、財産、権力の一切が満ち足りたとしたら、その上に何を望むものがあるでしょうか。
 人間最後の願望、永遠に生きたい、との衝動に駆られるでしょう。

 かつて、不意の刃傷に遭い、「金はいくらでも出す、助けてくれ」と叫んで死んだ力道山を笑うことなどできません。
 それほど、生命への愛着は抜き難い。ところが生ある者には必ず死がある。死が人生の行く手に立ちはだかったら愕然として絶望せざるをえません。

 アリストテレスは、「哲学は驚嘆から始まる」と言い、パスカルは、「人間は考える葦である」と言っています。
 この厳粛な死を考えたら、「これでよいのか」の驚きが、必ず起こってくるでしょう。これが仏法の出発点なのです。

 親鸞聖人は、『教行信証』行巻に、

「呼吸の頃すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば万劫にも復らず。この時悟らざれば、仏、衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて、徒に後悔を貽すことなかれ」
と生死の一大事を知らせ、その一刻も速やかな解決を促しておられます。

 人生の大事とその解決を教えられた仏法、親鸞聖人の教えを、ともに学びましょう。

 

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